研修医純情物語① | 夫婦2人暮らし マメカナののんびりHappy Life♪

こんにちは!

読んでいただいてありがとうございます😊

初めての方はこちらからお願いします♪      

こちらの記事では、私たち夫婦のことではなく、ただただ華奈個人の思い出を綴っています。

そのため、カテゴリは迷ったのですがひとまず「うちのカナさんこんな人♪」にしてみました。

このお話は、今から8年くらい前…まだ華奈が研修医だった頃のことです。

(自己紹介などにも書いていますが、私の職業は歯科医師です)

「研修医純情物語」というのは、高校生の頃の私が読んでいた、研修医の飾らない日常が書かれた本のタイトルで、今回はそんな雰囲気で私自身が研修医だった頃の思い出深い出来事をご紹介してみます🥰      

マメさんと華奈の結婚秘話の中でもちょこっと書きましたが、医科や歯科の研修施設はマッチング制度という特殊なシステムで決まります。

私は第一志望の病院で研修ができたのですが、その施設は日本一厳しいという噂で、誰もが避けるようなところでした。

クラスメイトたちからは、「あそこで研修するの?!物好きだね😳」と驚かれたくらいです。      

実は私は大学入学時には、いわゆる「歯医者さん」になろうとは考えておらず、医療系の研究職につきたくて歯学部に入りました。

医療系の研究をするのに医師免許や歯科医師免許は必要なく、全然異なる学部を卒業して医療系の研究をする人も沢山います。

しかし、私の両親は『手に職を』ということに非常にこだわりがあったため、両親を納得させるために国家資格も取れる学部を選びました。

将来、歯科医師免許は取っておいた方が良いだろうけれど、その後歯科医師として働くことはしないだろうな…興味のある分野の企業に入って研究がしたいと、そう考えていました。      

そんな私が大学を卒業した後に歯科医師として働くことを選んだきっかけとなったのは、大学4年生の頃にあった衝撃的な出来事でした。

大学4年生の頃、部活中に同期の仲間が突然倒れ、そのまま亡くなってしまったのです。

私はその場にたまたま居なかったのですが、きっと居たとしても大した対応はできなかったでしょう。

そんな現場に居合わせた時に自分は何もできないということがとてつもなく非力に感じました。

これからの人生で、目の前で大切な人に何かがあった時に何もできないままではいたくない…そう、強く感じました。

歯学部生も救急医療について学びますが、医科と違ってほとんどの場合実践する場はなく、机上の学習のみです。

唯一、歯科の中で救急医療の現場を経験することができる分野が『口腔外科』という専門分野でした。

口腔外科とは、首から上の骨折や悪性腫瘍(癌)をはじめとした重症な患者さんも診る分野で、歯科医師が従事する中で最も全身のことがわかっていないとならない分野なのです。

軽いものだと親知らずの抜歯から、重症なものだと末期の癌や飛び降りをした方の重症な外傷まで、幅広く対応します。

その分野に進めば、私も大切な人に何かがあった時にできることが増えるかもしれない…そういう想いで、日本で一番厳しいという噂の病院で口腔外科を学ぶことを選びました。      

私が研修をした病院は、全国でも有数の口腔癌を扱う病院でした。

口腔外科だけで常に何十人も入院患者さんがいて、その8割くらいが癌患者さんでした。

研修医として入職した際、当時の上司にはじめに言われた言葉が、

『はじめの3年は死ぬ気で働け❗️』

でした。

私自身も『若い頃の苦労は買ってでもする❗️』という考えだったため、本当にハードに働きました。      

私が入職する数年前まで、その病院の研修医は自分の家で暮らすことが許されておらず、病院内の当直室に住んでいたそうです。

私は病院の近くに借りた部屋で暮らすことが許されていましたが、忙しすぎて部屋に帰れるのはせいぜい週に2日程度😱

とてもハードな職場のため、長い歴史の中で女医は私が2人目で、男性でも研修の途中で逃げ出してしまった人がいたくらいでした。

朝5時半には集中治療室へ行って患者さんの身体の状態を確認することから始まり、全ての仕事を終えるのは毎日深夜1時頃。

緊急手術が入れば徹夜になることもしばしば。

家に帰る時間があれば当直室で1分でも長く寝たいという、プライベート返上の生活でした。

昔ならともかく、今時そこまでハードな研修をする施設はほとんどありません。

今でも覚えていますが、研修初日に初めて先輩に連れられて病棟へ行った時、気管切開といって喉に呼吸するための器具を入れている患者さんをみて本当に衝撃的でした。

口の中の癌や外傷の場合、口から呼吸ができなくなることがあるので、そういった器具を入れて喉で呼吸ができるようにするのですが、痰を吸ったりするのがすごく苦しそうだったんです。

あまりにかわいそうで見ている私が辛くなってしまい、トイレに篭って1人で泣いた記憶があります。

はじめの1ヶ月は、未知のことに耐えられなかったり、上司に怒られたり、思うように仕事ができなかったり…毎日毎日トイレで泣いていました。

それでも仕事を続けることができたのは、そんなハードな生活をしているのが自分だけではなかったからです。

朝5時ごろに病棟へ行くと、普通の病院では夜勤の看護師さんしかいない場合の方が多いと思うのですが、そこでは病院の理事長が私よりも早く出勤していました。

何百人も従業員がいる院内で、誰よりも偉い人です。

そして、私の直属の上司も非常に朝早くから病院に来ていました。

今思えば、特別に厳しい職場だったのですが、当時の私に見えている景色は『みんな同じように大変な環境で働いている』でした。

そして、必死で仕事についていこうとする私を、直属の上司やその奥様、そして医科の先生方はとても可愛がってくださいました。

医局の私の机の上には、よく差し入れの食料を置いていただいていました。

とても大変だった時期ではありますが、いろいろな方に支えられていましたので、「辛い」「辞めたい」という気持ちとは違ったと思います。      

次回は、研修中に私が救われた、とても幸せなエピソードをご紹介します🥰

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