研修医純情物語④ | 夫婦2人暮らし マメカナののんびりHappy Life♪
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こちらのシリーズは、華奈個人の約8年前の思い出話です🥰
はじめから読みたい方は研修医純情物語①、②、③をご覧ください✨
今日のお話は、私の研修医生活で一番思い出深い日である、研修医最後の日のことです。
医科は2年間、歯科は1年間の初期臨床研修が法律で義務付けられています。
以前の記事でもご紹介したように、初期研修先はマッチング制度というシステムで決定します。
研修先によっては、その病院に就職可能な場合もありますが、私の研修先は就職枠に空きがなく、別の勤務先を探すこととなりました。
私が研修修了後に働くことになったのは、研修先と同じく癌や外傷などの重症な症例も治療できる大きな病院でした。
当時の上司から、「ここで修行すれば高い技術を得ることができる」という確かな施設を紹介してもらうことができました。
かなり遠方の病院だったため、引っ越すことが決まっており、研修修了の1ヶ月前に家だけ先に引っ越しをし、残りの期間は職場の当直室に住まわせてもらってました。
全国の口腔外科の中でも、段違いに厳しい研修だと有名だった訳ですが…
思い返せば確かに大変なことも多かったです。
睡眠時間がなかなか確保できなかったり、家になかなか帰れなくて水道が凍ったり、春から働いて初めてもらった丸一日の休日が10月だったり…
お化粧なんて全然する余裕がなくて、毎日すっぴんで働いていました。
でも、もし「辛かった?」と聞かれたとしたら、「うーん、辛かったというより大変だったかな?」と答えます。
毎日が忙しくて辛いと思う暇はあまりなかったですし、上司にもその他の人間関係にもとても恵まれていて、充実した楽しい研修だったと思います。
そして、私の人生で初めて患者さんを診て処置をするという経験をして、自分には人と関わる仕事が向いているのではと肌で感じることができました。
私の奥底にある強い願望は『人から必要とされたい』ということです。
その願望を満たすために働いているといっても過言ではありません。
当時の私は歯科医師の卵でしかなかったのに、それがわかっていても慕ってくださる、そして必要としてくださる患者さんが沢山いらっしゃいました。
私の研修先は長期入院の方がとても多く、私の最後の勤務日にはその中のお一人が『先生、本当にありがとう!遠くに行っても忘れないよ!』と、抱きついて泣いてくださったんです。
その瞬間に、『ここで頑張って良かった』『私みたいな人間を必要としてくれる人がいるんだ』ととても感動したのを覚えています。
全ての業務を終えて医局に戻ると、私の机の上に大きな花束と可愛らしい包みが置いてありました。
その包みにはプレゼントと一緒に小さなメモが挟まれていました。
『いつも遅くまで頑張っていましたね。
いつも遠くから応援していましたよ。
新天地へ行っても頑張ってね。
副院長より』
それを読んだ時、涙が溢れて止まりませんでした。
副院長は、私の直属の上司ではなかったのですが、食堂などでお会いするといつも声をかけてくださって、病院の外へなかなか行けなかった私にごはんを差し入れてくださることもあったのです。
研修医だった私からしたら、副院長は気軽にお話し出来ない恐れ多い存在だったのですが、壁を感じないくらいにとても可愛がってくださっていました。
その病院で私が研修した期間はたったの1年間でした。
でも、あまりに濃すぎて何年も働いていたような気持ちになります。
当時の副院長からいただいたメッセージは、本当にちょっとしたメモのようなものでしたが、今も大切にしています。
その翌日に私は新天地へ向かうため空港へ行きました。
その時も手術室で仲良くなった技士さんがわざわざ車で空港まで見送りに来てくれました。
本当に最後の最後まで、人の暖かさを感じた研修期間でした。
今でも、当時仲良くしていただいていた上司やその奥様、ナースたちに会いにたまにふらっと遊びに行きます🥰
必死に働いた時間も、そこで得た技術も、沢山の出逢いも、いただいた言葉の数々も全て私の大切な宝物です💕
思い付きで書き始めた思い出話シリーズですが、いかがでしたでしょうか?
もし「こんなことも書いてほしい!」というご要望があれば、リクエストお待ちしています✨
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